鳩居堂

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鳩居堂の歴史

向かい鳩の商標の由来 1180年、熊谷家の先祖である熊谷直実が度重なる軍功により
源氏の将軍源頼朝から贈られた旗印を図案化したものである。

創業300年の歴史

初代 熊谷直心

熊谷直実から数えて20代目の熊谷直心が、年25歳で志をたてて京都に出てきて、医学や薬学を勉強し、寛文3年(1663年)に、現在の鳩居堂の所在地である、京都市中京区寺町姉小路角に店舗を新設し、薬種業を始めたのが、そもそもの鳩居堂の誕生であります。

初代熊谷直心は、当時京都で有名な古学者の伊藤仁斎や、その子伊藤蘭嵎(らんぐう)等の教えを受けました。また、当時の学者、室鳩巣(きゅうそう)が、中国の古い民謡集「詩経」の召南の篇に、「維鵲有巣、維鳩居之」とあり、これによって自分の鳩巣という雅号を採っているのにあやかって、やはりこの語の中から、「鳩居」という堂号をつけてもらったものです。

二代 熊谷直養
三代 熊谷直性
四代 熊谷直恭

初代熊谷直心の志をうけついだ四代熊谷直恭は、自分も医学に興味を持ち少々は習得し、京都の有名な医師と深交を重ね、1836年京都の大飢饉の際には、自費で、数棟の小屋を作り、飢えた人々を収容して、食物を与え救済しました。

弘化元年(1844年)に痘苗がオランダより長崎に渡米したことを知り、長崎に人を派遣してその地の医師の下で勉強をさせ、これを京都に住む医師たちと語り合い、嘉永二年(1849年)十月、楢林栄建、江馬榴園(えまりゅうえん)、小石仲蔵の三医師の賛助のもとに、京都にこの痘苗を持ち帰りました。これが、わが国種痘の最初であり、医師の手によるものでなく、一市民の手で始められたところに一世を驚かせたものがひそんでいると思われます。

京都の夏の風物詩として日本中に有名な大文字送り火は、その「大」の字の筆者として伝えられる弘法大師が、鳩居堂の取り扱う筆の神様とされているところから、鳩居堂との関係は温かく続いています。天明の飢饉ののち、財政難で点火が中止されたときには、直恭は費用を負担して再興を試みました。

また、熊谷直恭は、その取り扱う筆の毛に馬や鹿や、兎、狸などの体毛を用いることから、それらの動物に感謝の念を持たねばならないとして、山科、草津、比叡の山中越えなどに、道中の牛馬に、水やかいばを与える関をつくりました。30年ほどこの仕事をやりましたので、今でもこれらの関には、熊谷直恭(蓮心)への謝恩碑が建てられて残っています。

五代 熊谷直留

後の七代目当主となる直孝は、国事に奔走したり、教育事業に熱中したりしていましたので、営業のほうが出来ないと見て、まだ直恭の生存中に直恭の弟直留に営業を譲りました。

六代 熊谷直利

五代直留が38歳の若さで亡くなりましたので、直恭は娘の“かう女”に養子を迎えて6代目としました。これが六代目直利ですが、やはり直恭生存中に43歳で亡くなりましたので、長子の直孝が七代目当主となりました。

八代 熊谷直孝

熊谷直恭の死後は、その長子熊谷直孝が継ぎました。父熊谷直恭ののこした仕事のうち、御幸町の持ち家を種痘所とした有信堂が、新政府の京都府に引き継がれました。熊谷直孝はこの有信堂に寺子屋の少し組織化した教育塾を設置して、当時の著名な学者であった小林卓斎に委任して、子女の教育に手を付け始めました。これが全国に小学校令の発布による小学校開設の基となったもので、明治二年(1869年)五月二十一日に開校された柳池小学校の母体でもあります。

直孝自らが教師として、読み書きを教え、自分の妹の熊谷かう女を女教師として、裁縫と礼儀作法を教えましたが、従来、教育は男子の特権とされていたのが、対象を女子に向けて裁縫などの教科を設けたことはすぐれた見識でありました。

八代 熊谷直行

明治十年(1877年)十月、八代目熊谷直行は、霞ヶ関の離宮に召し出されて、三条実美公から同家に900年来伝承されてきた宮中御用の「合わせ香」の秘法を全て伝授されました。それ以来、この秘法は一子相伝として、今でも宮中の御用を勤めています。

世上「梅が香」と称せられる練香の中に、黒方とか菊花とかいう宮中御用の名称のものがありますが、これは鳩居堂だけに許された調合法のもとに製作されるものであります。 また、明治三十六年(1903年)11月13日には、特旨をもって七代目熊谷直孝に贈従五位という栄冠を与えられました。八代熊谷直行は、東京遷都のあとを追い、明治13年東京の銀座四つ角に鳩居堂支店を設けました。

九代 熊谷直之

16歳の若さで家督を継ぎ、明治、大正、昭和の混乱期に次々と家業の近代化をはかり、次代への基礎づくりを行いました。 昭和17年(1942年)、個人経営から法人形態に切り替え、製造部門として鳩居堂製造株式会社、販売部門として株式会社京都鳩居堂、株式会社東京鳩居堂をそれぞれ分離独立させ、京都を長男直清、東京を次男熊谷直道に10代目の家業を任せました。

現在

京都は直清の三男純三(11代目)に引き続き、12代目を息子の直久がつとめています。
東京は直道の長男道一(11代目)、直道の妻喜久子、道一の妻聰子に引き続き、道一の長男道明がつとめています。

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